草々草子

全略出来ればどんなによかったか。

野に開く穴のように

ぼ、ぼくは、おにぎりは別にそこまで好きじゃないんだな。

だからぼくがどぶねずみだからって、穴におにぎりは転がさないで欲しいんだな。

どうも、齢18にして現代のエドモン・ダンテスこと何某です。彼と違うのは、この薄暗い岩窟から出たところで伯爵を名乗るわけでも、誰に復讐するでもないと言うこと。あえて復讐するなら自分にかな。さて、今日も深淵からお送りします。といっても私には既に語ることがありません。というわけでいつも通りよしなし、よしなに。

朝起きてまず気付いたのは今日が仏滅だということ。私がふと起きてカレンダー見たときは仏滅だと相場が決まっています。ということで今日の昼食は精進料理に、それでいて少し豪勢にと。その名も捻らず安直に「仏滅カルナバル」。イエスとブッダがクロスカウンターを決めているような風景が浮かんできますが、この後謎の覆面レスラームハンマドが乱入して来て無効試合になるので安心してください。いつかの日この文章が世界大戦の引き金にならないことを祈りつつ、冷や汗が止まりません。

出来上がったのは冷や奴と油揚げの煮物、玄米雑穀。以上。カラーデザイナーが見れば発狂する程の彩りのなさではありましたが、とても美味しゅうございました。...まだまだ成長期真っ盛りの少年として本音を言えば、動物性タンパク質が欲しくてたまらないです。今なら私が頭を丸めた副産物として出た大量の髪の毛を出汁で煮込んで貪り食えましょう。その姿といったらまさに獣、そして獣となってしまった私自身の髪を食らった私は即破門。ただのマルコメ姿の冴えない少年だけが残され、その光景は現代におけるウロボロスのモデルとして歴史に名を連ねるのです。その名前がどこにも存在しませんが。

失礼、先日宣言通り鑑賞したハンニバル・ライジングが未だ思考に残っているようでいけません。次に気になっている映画は「ティファニーを朝食で」でしたか。多分カニバリズムの映画だと思うのですが、それはまた今度観ることを誓うとして。今日私がこの生活で得たことと言えば、私が夕方時に文字を書くと世界大戦や人類禁忌の引き金になりかねないと言うこと。明日からは深夜に戻ります。

一人で作った砂製のお山の大将より哀をこめて

散文クッキング

今週のお題「給食」

らしいです。私には語るべき話題というものに持ち合わせがなく、「記念すべき第一回にて打ちきりか」などと感慨に浸って、いませんでしたが、そんなブログにすら適正のない私に救済の手が差し伸べられました。

してはてなブログから提供頂いたお題は「給食」。小中学まではほぼ皆勤を貫いた生粋のマニュアルボーイであった私には馴染み深い文化であり、またその文化には献立の重要性が欠かせません。間違って揚げパンなどが並んだ日には教室中が狂喜乱舞、まさにこの世の地獄を体現したようなおかわりの争いが繰り広げられ、翌日の献立がミルメークであることが判明すれば、クラス内にて貧弱も貧弱カースト最下位のナードであった私には「明日は絶対に休め」という日本刀並みに鋭い視線が背中に刺さったものです。

さて、そんな毎日の中「給食の献立を考えよう」というコンテストが授業にて開催されました。なんと優秀者にはその献立を会議で提案してくれると。これはやるしかない、私は思いました。というのも私はかねてより一つだけ給食に不満があり、それは「ハンバーグのクオリティが低い」というもの。三度の飯より飯が好きで、更にはもっと言えばハンバーグに首っ丈どころかどっぷり浸かりすぎて溺れているくらいの私としては、9割嘘ですが、これは是非とも平日の昼間に優雅に美味しいハンバーグを食べられたら至高だと。かくして牛乳と白米以外の全てのコストを削り捻出した自信作「松阪牛スペシャルランチ」は完成しました。

その身と紙面に食欲一つ引っ提げて向かった末、我らが担任の放った台詞は「ふざけているのか」でした。コスト面においてどれだけ私の考えが甘いのか、語られました。やるならもっと現実的なプランにしろ、と。

私は考えました。やはり一番はコスト、先の「いかに日々栄養士さん達がバランスを考えてくれているのか」という担任のお説教により、年上の言うことを全てを鵜呑みにするタイプであった私は栄養士さんに対する申し訳なさで一杯で、いや正直ハンバーグの夢が霧消したこと以外考えていませんでしたが、涙に目をためて、体を震わせて、この世に存在する肉の中で私が考える一番安価で手に入りやすい材料に書き換えました。

「ぼく」

担任にはついに殴られました。今からハンニバル・ライジングを観ます。

名前のない哀鬱

 

初めまして、この度ブログを開設するに至りました。まずはこの場所の紹介から。

コンセプトなし、主張なし、思想なし、笑いなし涙なし。人間に例えてみれば骨組みも筋肉も皮も内臓もありはせず、ただ生命維持装置に脳が一つ繋がれているようなものだと思ってください。そんなものを人間と呼べるのか、論じてしまうと先ほどの宣言が崩れてしまう故やめておきましょう。何より面倒だし。

更には私自身も両親に「血も涙もない」と言われた経験のある人間で、正直言って私に血と涙が流れていないのは、少しでも分けてくれなかった彼らにかなりのウェイトで責任があることは否めませんが、書いている人間が駄目であることだけは想像がつくでしょう。

冗談はさておき、いやこの先もきっと冗談しか書くことはないとは思いますが...何の話でしたっけ。紹介ですか。さて、何を隠そう私が語り手で、何某です。名前もありませんし、猫ではありません。ただの一男子。ただ徒然なるままに日暮らし、すこしあかりて紫だちたる雲の細く...あれ?今ので理解していただけたでしょう、この男には教養がありません。加えて知性もありません、証拠をお見せしましょう。おっぱい。

そんな男の紡ぐ言葉といえば、やはり下品な頭の内をつらつらと吐き出すだけのおままごと。誰に見られるでもなく、ネットの海に自らの恥部が晒されていることそのものにときめく自己完結型の箱庭。ただぽかんと口を開け、白い天井を眺めては夜になり、闇の向こうの死の光のどけきを感じては目を閉じる日々を皆様にお届けします。

なんとも気が滅入りそうなことです、絶対に読むことはお薦めしません。誰が読むんだこんな電子ゴミ。

しかし私は我慢が効かない駄目人間、酷く沈んだ生活に浮かんでくる誰かの哄笑の種を声高に叫ばずにはいられないのです。

「ぼくをみて ぼくをみて ぼくのなかのあいうつが こんなにおおきくなったよ」

果たして男の子のとても素敵な名前は、ついぞ呼ばれることがありませんでしたとさ。

お後がよろしいようで、ではまた。