草々草子

全略出来ればどんなによかったか。

憂き雲

タイトルを憂き国と迷い、書き出しを皆さんが知っている「長いトンネルを抜けると」と書き出そうかとも思いましたが、タイトルとは一番最初に目に飛び込んでくる言わば文字書きの顔。さらに言えば今は選挙が云々の真っ只中、「憂き国」などと書き込んだ暁には国家総出で監視された挙句、危険思想の持主として拷問死する未来が待っていることでしょう。

もちろん私はそれでも全く構わないのですが、私は思想的には国どころか「憂き世」派ですし(200年前に使い古されたネタですが)、小林多喜二は先週の冗談で終わってしまった故、旬ではないと思いこちらで筆を執らせていただきます。私には名前こそありませんが、「くたばってしまえ」からくる浮雲の作者、二葉亭四迷のネーミングにはすこし心にキュン、なんて来るものがありますね。そんな面白い洒落た名前にでもしてみたいものです。嘘。

そんな夏の暑さに心憂き憂きな私ですが、最近は面倒ごとも多く、頭の花畑も風は死に空曇りゲリラ豪雨で根は腐り...と、これも冗談です。綺麗な花畑を想像されていた素敵な皆さまとは違い、私の頭の花畑は元より食虫植物が不気味に踊る人外魔境。何を隠そう私が初めて育てた植物がハエトリソウであり、全ての葉を面白がって閉ざしたところその日から順調に枯れていきました。

私が不可触民兼、頭の中も生命維持的な意味合いにてアンタッチャブルであると判明したところで、近況を。今通っているあまり程度の高くない、大学校の試験日が迫り、その中でもあまり頭の優れていない私は冷や汗を拭うこともなく必死に死相を隠しヘラヘラと笑う毎日。そんな人間は死んだ方がいいと言われる方もいらっしゃるかも分かりませんが、そこは私も人の子誰の子親の顔どこ。くたばって終いという訳にも立ちいかず、目の前からゆっくりとやってくる死神に嫌われぬよう笑顔で手を振るしか出来ない意気地なしなのです。

トンネルを抜けずにぬくぬくと、穴倉に籠って寝ていられるならどんなに良いでしょう。ああやはり、着地点的には憂き国がベストだったのでしょうか、まあいいでしょう。正直どちらも読んでいないし、結末は知りません。知らぬ終わりを語るは阿呆の仕事、故に予言します。ロクなことにはなりゃしねえ。では。

伽哩工船

おい地獄さ行ぐんだで!と呼ばれず飛び出ず特に豪勢な効果音をも伴にせず、私が文字を書いています。何某、名前の無い普通の人間です。

さて私がここ2か月ほど、非正規労働に勤しんでいた事をご存知の方はいらっしゃらないと思います。私の普段の言葉をそこまで熱心に読んでいる方がいるとすれば、是非その不法投棄物の観察にさえ注げるほどの有り余る暇と労力、並外れた集中力を自らの成功のためにお使いください。ノーベル賞を約束します。ついでに記念品のダイナマイトで吹っ飛ばしてくれねえかなあ。

私の中でノーベル賞が爆薬配布イベントだと思われている事を世間の皆様に「無知」という一言で片づけて頂きながら、本題へ。先月私は友人に「俺が入ったカレー屋のバイトに来てくれないか、オープンから日も浅く人が足りないんだ」との話を受けまして、他2人連れ発ってとりあえず面接へ。即採用が決まりました。

その後それなりに働いていましたが、つい先日。簡潔に、一言で、さっぱりと言えばクビを切られました。どうやら仲間内4人の中で他2人が「使えない」という印象であったらしく、「その場のノリと勢いで全員クビだと言ってしまった」らしいです。中々素晴らしい神経をしていると思います。いや、終電に間に合うよう上がる時間を調整して下さいと言えば「やる気がないなら帰れ」と、会話のドッチボール、幾重にも曲解と深読みを重ねた頭脳戦を雇用主と繰り広げる毎日は実際消耗することこの上なかった故に有り難いと言えば有り難い事ですが。

中身を端折っている感は否めませんが、特定の後営業妨害で訴えられることは避けたい故に中身の俗に真っ黒な雇用環境については口を噤んでおきます。嘘です、眠気が10割です。

未だ5月分の給料すら出ていませんが、小麦粉を水に溶いて塩を振ったものを焼いて食べる生活はいつまで続くのでしょうか。貧乏人は蟹を諦め蒲鉾で代用をしますが、何故私はカレーの代用を通り越してナンもどきで胃の腑を満たさねばならないのでしょうか。

そう思えば何も私のバイト先に限らず、この世全てが蟹工船ですね。だって毎日人が死にます。よい地獄を。

あの素晴らしい哀をもう一度

何某はさよなら惨憺二度来ぬ始末...かと思いきや、思い立ったが仏滅。今日は呼ばれてもいないのにアンコールに馳せ参じた次第。

と言っても書く話題にも持ち合わせが無く、あったとして140字の箱庭に納めようと四苦八苦した挙げ句、ただでさえ内容の無い滓を圧縮した嫌がらせのような文字列をタイムラインにどんぶらこと流して日は暮れていき、やい悪い鬼め我こそは日本一の桃太郎だ、悪さをはたらくお前さんを退治してやろういざ尋常に勝負と正義に殺される期待も叶わず何日が経ったでしょうか。それに考えてみれば、いざブログを終わらせると言っても「俺たちの戦いはまだまだこれからだ!」と気持ちよく終わらせるには私の手記にはどうにもこうにも爽やかさが足りない。枯渇資源です。だったらいっそこれからねちねちと続け、皆さんの貴重な時間を溝に捨てさせるような悪行をしていればきっとヒーローがやってきて素敵な必殺技で私を文字通り完膚無きまでに殺してくれるだろうと思い、既に折れて使い物にならなくなった筆を執り駄文を書きなぐることにしました。

と、今日はその宣言だけ留めておきましょう。心と心が今はもう通わない?いや、始めからきっと誰からも理解されず、誰も理解していないのです。故に、あの素晴らしい哀をもう一度。

(Of)all days 沈丁花の空費

今週のお題「好きな街」

らしいです。また恥じることもなく全面的に提供されたお題を使って適当に。

といっても、私には語るべき過去がありません。いや敢えてお話しすれば皆さんの抱腹絶倒が目に浮かぶ...とまでは言い過ぎましたが、少しクスリと来る程度の下手な与太話なら沢山持ち合わせがあります。しかし、私は未来に向けて一歩一歩を進む度に薔薇色の花畑が枯野に変わっていく、つまり言ってしまえば黒歴史生産機のような生き方をしている故に、書いている間に顔も茹で蛸が真っ青になるくらい真っ赤に染まり(とてもややこしくてこの表現は気に入りました)、体温は40度を軽々と飛び越え、排熱機能に限界のある哺乳類、人間である私はそのまま自らの水分により無味の煮物になってしまうことでしょう。

故に、私が死なずに「街」というスケールの大きい過去の話をすることは出来ないはずでした。しかし、唯一私にも語れる街があります。そこは夢の中の街、脳内にこぢんまりと存在する小さな名前もない商店街。いつの日からかたまに夢の中に現れては私の頭に爽やかな風を吹き込みどこかへ消えていく、そんな街です。おっと、書いていて鳥肌が立ってきました。胡散臭さが売りの私がこんなメルヘンでファンタジーな雰囲気の文字を書いていいのか、その辺りは皆様にお任せします。耐えられなければ通報でもお願いします。

話の腰を折りましたが、座って話すのがちょうど良くらいの冗談です。どうぞ貴方も腰を折り曲げお座りになって、でなければ寝ながらでもいい。さて、その商店街ですが、誰もいません。シャッターは降りていませんが、店に入ろうと思うことはありません。ただ一人で、「活気があった場所から人間だけを全て抜き取った」ような雰囲気をどうしてか居心地が良いと感じながら歩き進めて、出口に立ちます。そこで「私はきっとどこかに恋人を置いてきてしまった」と思うのですが、恋人の顔も名前も思い浮かばず途方に暮れて、いつも目が覚めます。人によっては悪夢に映るやも知れませんが、私にはこの一人の時間がたまらなく気持ちが良い。と、ただそれだけの話でした。

そうですね、もしこの春にまた行けるとするのなら、花屋に一つ沈丁花の鉢植えが欲しい。普段外に出ない私に季節を感じさせたら、花言葉の通りに私を囚え離さずに囲っておいて欲しい。月を恋しく思うこともなく、ただ甘い香りに酔って寝ていたい。空想の檻に一人来る日も来る日も空費する時間を、どうか。

綺麗に纏めてしまいました、では一つ。今回タイトル使った三丁目の夕日ですが、大嫌いです。あの「泣かなければ負け」な雰囲気に包まれいたたまれず、上映終了後席を立つ際にコーラを目尻に塗った敗北感。故に今回はタイトル以外にリスペクトしていません。覚えていないし。これでいい感じに泥が塗れましたか。では以上です。

そして全てを題無しに

さて、このブログは元より徒然に、皆様を道連れに、今の世において一番と言っていいほど貴重な時間を無為に帰すべく始めた非生産的活動です。恥も外聞もありません、「更新が疲れた」と大嘘をついては不定期宣言をするという冗談も適当に使います。そこで「冗談じゃない」と帰ってくれば漫才として成立もするのでしょうが、この文字遊びにそこまで本気になっている人間なんて一人もいません。何より、始めに言いました。「笑いなし涙なし」と。

さて、名前も無いのにレッテルばかり増え、今まさに嘘吐きの一つが追加され、得体の知れ無さよりもろくでもなさの方が目立つ私でありますが今回お話しするのは嘘について。...私の目線を皆様に植え付けるのは申し訳ないところではありますが、嘘は美しい。はっきり言って人間の持つ最高級の美徳だと思います。人が人を騙す時には、その嘘がいくら優しかろうと吐く側の悪意と受け取る側の感謝が共存し、関係に矛盾が生まれます。そしてその状態が続く限り、無償にして神愛に近い何かが彼らの間には存在し続けることになる、これはとても美しい。

そして「お前は先ほど自分のことを嘘吐きと言ったが、嘘が美しいという考え、それはナルシズムになるのではないか、さては死んだ方がいいのではないか?」と勘違い、誤解をなさる方がいるやも知れませんが、安心して下さい。嘘は美徳ですが、嘘吐きは人間において最下級の人種です。嘘吐きという肩書きがこびりついている時点で、その嘘は既に相手に認識されているということ、つまり先述したその美しい関係は、既に霧消しているのです。よって私が美しいと思う嘘とは「未だ嘘として認識されていない嘘」であり、「これからも認識されることのない嘘」であることが条件となります。果たしてそれを嘘と呼ぶべきか?私はその嘘こそが本来嘘として名付けられた物であると考えたい、世に露出した汚い嘘吐きが並べる御託には別の名を付けるべきであると。名付けて「クソ」なんてどうでしょうか、互換も似通っていて言葉として違和感なく浸透に時間もかからず、汚いイメージをそのままに残すことが可能です。

と言うわけでクソ吐き、もといクソ付きの文字遊びは、懲りることなくこれからも続きます。話は未だ途中ではありますが、もとより正しい答えなど存在しません。しかし皆様の嘘が綺麗に嘘であり、また皆様が誰にも呼ばれることもなく「嘘憑き」でありますように祈ります。

題無しに台無しどころか解無くたたむ話も惜しいですが、その辺りは名こそ欲しけれということで、ご容赦を。では。

追伸 「死んだ方がいいのではないか?」について。大正解です、満点をどうぞ。

惰性門

今日に関しては「下人」ですと名乗れないのが辛いところ、そんな身分すらとうに私からは消えているのです。さて、惰性で続けてきたこのブログですが、今回で最終回ではありません。ただ、毎日のようにタイトルをどこかの創作物から持ってきて弄りこじつけるのは正直疲れますし、中身のない戯れ言を吐くと言っても、ただでさえ少ない胃の腑の中身は全て晒してしまったような気がします。

大体私は活字という物をほとんど読まず、そもそもが内容をパロディするほど覚えている本をほとんど持っていません。更に積み重なるは才能の無さと脳に「サボロー」が定住しているようなモチベーションの欠如。実体の無さといい、私はサボローに浸食されかかっているのかも知れません。もしそうだとするならば、私は名前を手に入れる事になるのでしょうか。サボロー、サボロー...いい名前だとは思いますが、自分の名前を名乗るたびお金を払うのは痛すぎる出費です、理性が残っている内に脳内サボローの家賃と著作権使用料をチャラに出来るか明光義塾に問い合わせてみなければ。

と、言うことで不定期になります。一月に一回か、週に一回か、それは大きな問題でなく、正直な話反響も何もありませんから少し甘えます。私は元来他人にも自分にも甘い人間です。どれくらいかと言えばガトーショコラくらい、おっと危ない食べるのはお止し下さい。粉砂糖に見えるそれは涙で出来たカビの根です。涙の数だけ強くなれるよとは言いますが、その実強くなるのは毒性だけで、カビの毒は加熱でも消えません。生えたら終わりです、恋の微熱も愛の炎も、貴方の毒を打ち消してはくれません。もしくは灰になって終わりです。故に自分に甘い皆様、人に食べて貰いたいというのであれば、若さの熱に涙が蒸発し消える熱いうちが売り時です。でなければ戸棚の中で腐ります。

さて、ではしばらくの間さようなら。私の行方は誰も知らない。

アルジャーノンに徒花を

けえかほおこく?

どうも、現代のチャーリーゴードンこと何某です。実体と名前を持たないが故に何にでも喩えられるのは便利でよいですね。ちなみに彼と違って私は全編を通して知性を手に入れません。故に最期まで葛藤も愛なく、幸福に一生を終えるまでのほのぼの日常系4コマ漫画を想像してください。

駄作の二文字が見えてきたところで告白すれば、実は私は社会的には所謂「受験生」という立場にあり、そしてその立場が卒業式をとうに過ぎた今の今まで続いているという事は、過去の記事において散々露悪してきた私の知性と教養の無さを更にどす黒く目立ち輝かせる結果となることは明白ですが、兎にも角にもそういう訳で私は本日東京に足を伸ばすことと相成ったのです。

さて、私が話したいのは東京に辿り着くまでの過程であり、それは電車という箱に出現した地獄であり、座りながら前に立つ女性に足を踏みつけられる痛みであり、愚鈍さ故に駅の構内で肩をぶつけられ無様に転がった時の周囲の視線であり、それは世間を知らない私にとって、ともすると悲劇のヒロインならぬヒーロー、さらにそれすら通り越して涙の刃に血を啜るダークヒーロー的自己陶酔に入り込んでしまいそうなほど煩わしいものでした。

どうやら自分でも気づいてはいなかったけれど私は今いらいらとしているらしい。それはその煩わしさが原因の一つで、また眠気もそれに大分貢献していると思われる。わたしの唯一自分を表現できる言葉がうしなわれていく。それがこわい。外はとてもあたたかかった、コートをぬぐことをおぼえなければならないらしい。

きょうわばかなことをやったわたしわもんだいをとけるとおもったけれどわたしにわむつかしかった。いやなにかをやったけどなんだかおもいだせない。たぶん、わたしじしんのみらいというやつのためになにかをしてやたのではないかなとおもう。

ついしん。どーかついでがあったらうらにわのアルジャーノンのおはかに花束をそえてやってください。

なんてね、徒花で作ったブーケは下品に丸裸で、それはそれは欠陥品の私によく似合うことでしょうよ。