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草々草子

全略出来ればどんなによかったか。

愚さ枕

アランスミシーと申します。山田太郎ともジョン・スミスとも言いますか。何でもいいでしょう。まあ、いつもの如く例の如く龍が如く長々しく、ただオチを考えていない故の尻切れトンボであるのも相変わらず。字書きを始めましょう。

暫し、というか半年ほど字書きをしていないように皆さんには見えていたかも分かりませんが、実は義務的に文章を書く機会が多かった故にこの場所に気が向かなかったというのもありますが、実際は何のことはないただの怠け癖です。流石に勘も鈍るというものですが、頭からあふれ出す馬鹿の煮汁を立て板に流すような勘があったところで何だというべきですね。

いやまったく智に働ければよかったのでしょうが、角も無くころころと転がり回る口など無い方がマシ、掉さす情の奔流は既に枯れ、ついでに万骨も尽き、通す意地は裁縫糸のような細さで先もばらばらに解けているような私は、人の世が住みにくいどころか家賃未払いで追い出されそう。ただ一つ部屋いっぱいに溜まった不良在庫の愛想をぽかんと眺めて思う事は、きっと差し押さえられてもいくらにもならないという絶望。おや、まだ残ってた絶望。存外ヤフオクで高く売れるんですよ。愛よか。手持ちを売るだけの生活、言葉を捻り出すような余裕が無いのがお判りでしょうか。これですか?人間は脱水になればなるほど体内塩分の調節のための尿の生成が活発化するそうですよ。

辛うじての私の人間証明が終わったところで、正直なところ夏目漱石にそこまで傾いている訳ではなく、ただ試験の課題図書で斜め読みをした程度なのですと今回があまり面白くなく文字の流れが滞っている言い訳を。ああ、斜に構えた私が斜め読みとは、角度によっては真っ直ぐになりそうなものですね。他の題材は無いのかって、何故なら本を読まないのです。5畳の部屋に私の頭の中よりか少しは高尚くらいな300gを沢山並べていたらきっとその意味の無さに気を狂わせてしまいます。まあ映画ならば題材に心当たりが無いわけではありませんが、言い訳を言いたい気分の時もありましょう。

しかし中々、この馬鹿馬鹿しさに懐かしさを感じなくもありませんね。筆が多少運動不足ではありますが、しかし筋肉痛というか、もう私に芽吹いた頭痛は多年草ですから、ずきずきとほおずきのように大きな実をまた付けては落ちた勢いで私を押し潰し、万有引力を閃くその隙すら与えないことですし、無理をして文字書きをしたところで普段と変わるところではありませんね。こうして出来上がった文章、いざ読むとちぎれ途切れにその憐れ、いつか路上で解剖された烏を見た時のよ...「それだ、それだ、それが出れば画になりますよ」

うるせえなお前、誰だよ。